当時高校生だった僕に強烈な刺激を与えたアーティストであるマリリン・マンソン。今になってあらためて彼の考え方を覗いてみたら、かつてそのビジュアルから受けたショックとは反対側のベクトルに延びる、今の世の中に必要な処方箋的な思考に共感を覚えた。
そんな彼の発言集「MARILYN MANSON IN HIS OWN WORDS」より、気に入っている言葉をドッグイヤーのかわりに、いくつかここに書き出す。
「パフォーマーとして、ぼくは出来る限り大声で、かつ持続性のある目覚まし時計でありたかった。というのも、キリスト教とメディアがもたらした昏睡状態から社会を目覚めさせるためには、ほかには手段がないって思えたからなんだ。」
1996年11月
「マリリンマンソンとは、ショウ・ビジネスがいかに白々しく、皆がクソまみれかってことを示している。マリリン・マンソンって名はあまりにも白々しくて、白々しさを越えてリアルになってるわけさ。完璧に嘘で塗り固められた世の中にあっては信じるだけの価値がある嘘ってこと。」
1997年5月
「音楽には間違いなく儀式性があって、アーティストがそれを使えるだけの頭を持ってるかどうかってことなんだ。運動競技から全体主義集会からロック・コンサートに至るまで、そこには大きなエネルギーが存在し、無秩序にも出来ればk、集約させる事だってできる。集約させれば、より大きなパワーが得られることになるわさ。」
1997年9月
「メインストリームにはカウンター・カルチャーがもっとあることが大切。そうじゃなきゃ、子供たちが聴くのは、ハンソンとスパイス・ガールズだけってことになるんだから。」
1998年9月
「音楽は政治よりも強靭だと思うし、将来的にはインターネットのような存在のおかげで、ますます強靭になってゆくと思う。今や誰もがスターになり得る可能性を持っているわけで、ここ数年のうちに、本当に才能のある人と、本当に強い意志力を持った人が最前線へと現れ、本当にこの世を強靭なものへと導く階段を進んでゆくことだろう。」
1999年7月
「本気じゃない音楽が成功している今現在の状況には嫌になる。元音楽評論家のぼくとしてはグランジが物凄く嫌いだったにもかかわらず、カート・コバーンのような素晴らしいソングライターたちが日々が懐かしい。なぜなら、素晴らしい曲があったからさ。今じゃ、ごくたまにしか目につかない。ブリトニー・スピアーズの曲のほうがリンプ・ビズキットの曲より出来がいいって、本当に悲しい事だと思うんだ。」
1999年8月
「ぼくが思うには、人類って一般的にゆっくりと自分たちの創造物より自分たちのほうがちっぽけになってきている。」
1998年9月
「ぼくが話すと、人々は耳を傾ける。それでもって、ぼくは人々に対するパワーを得るわけさ。ロック・スターでいるってことで、まるで自分に大統領であるかのような、それと同種のパワーがもたらされることを、ぼくはすぐさま悟るようになったよ。注目を得ることによってパワーを得る。それってのは、ローマ時代のシーザーまでへとずっと遡る。人々がパワーを与えてくれるが、それをどうするかってことが重要なんだ。」
1996年
「真実とは、それをどれだけの人々が信じるかという相対論でしかない。もしぼくが真実を発見したいのなら、ぼくがもっともっと有名になれば良い。最もビッグなスターにならなければならない。なぜなら、より多くの人々がぼくの言う事を信じるほど、それだけ真実に近づくってことだから。」
1997年9月
「言いたい事がある奴が欠如している。もはやジム・モリソンやボブ・ディランはいないんだ、たとえそういう人たちがまだいきていたとしても。ぼくが思うには、音楽の持っていたパワーがさ。60年代とかって、どんなにみんなが英雄やアイコンを求めていたことか。それが今や違ってる。着たいTシャツを求めたところで、同じふうではない。ぼくは音楽にそういうものを取り戻そうとしているんだと思う。」
1998年11月
「顕然とか道徳っていうような思想は、何が人気かっていう結論でしかない。もしも『自分はUFOにさらわれた』って言えば、大抵の人はいかれてると思うだろうが、もしも『自分の家のトイレを介してイエスと話した』と言えば、奇跡だって言うわけさ。」
1997年6月
「ぼくたちはアメリカのこんなにも混乱した文化の中に生きている。凄くたくさんのやつらがポリティカリー・コレクト(表層的な正当主義)まみれ――『どうして皆が平等に、単純に仲良くやっていけないわけだい?』とかって文句を垂れている。だが、アメリカは徹底的な資本主義を基礎としているわけで、それって基本的には隣にいるやつに打ち勝ち、さらなる金と力を獲得して突き進めってこと。
それから皆を愛するって思想も嫌いだね。それって愛の思想を安っぽくしてる。ぼくは自分が気にかけて愛するもののためになら。どんなことだってするだろうけど、それ以外のことには関心がない。でまかせの親切行為をするっていうのは、ぼくにとっては崖っぷちを歩いているようなものなんだ。」
1996年10月
「(歌詞が自殺の原因だという可能性に関する議会公聴会について)ああいった状況において、ひどく狼狽した両親っていうのは、誰かのせいだと後ろ指を指したがるが、自分たちのせいだとはいつも認めようとはしない。そういうときには大抵、そいつらに責任があるものだが。それに、選挙で勝ちたい政治家たちが、悪者を見つけたがってる――そしていつもぼくがその悪者なんだ。だけどアメリカの若者たちの幸福に関しては、誰も本当に考えてないってことがよくあるよ。アメリカは子供たちをバカに育てておきながら、みんなで自分たちの子供がバカだって驚いているんだ。」
1999年3月
「(アメリカでは)盲目的信用という思想が奨励されるんだ。協会に座って金を差し出すか、テレビを見ては出かけて目につくものを何でも買っていれば、人々は幸せ。そのほうがずっと簡単だからね。ぼくたちが売りつけられようとしているアメリカン・ドリーム、それに加わろうと並んで順番待ちしている誰にでも適合するから。個性的だったり、意見を言い表そうとすることのほうが、ずっと困難なんだ。」
1999年3月
「暴力的なご時世になったってわけじゃない。テレビ中継がいっそう多いってだけのこと。」
1999年6月
世紀末のアメリカについての発言が、21世紀の日本にもそっくりそのまま通じているし、あるいは上記の状況よりも、もっと酷いものになっているかもしれない。
今日本でどうこうしようとしている人は一読しても損はないと思う。
2010/07/31
■灼熱の日々と冷や汗■
家に引き蘢りっぱなしだった日々の中、最近は映像ユニットyuccaの制作するコンペ応募用PVに出たり、映像制作をカメラマンとして手伝ったり、童貞な友人の初舞台を観たり、いろんな場面で外で人と関わってる。
反面、それが動きの鈍い自分の活動から目をそらすまやかしにもなってるのも事実。人間には近くに居る人間の感情などに同調するような脳の仕組みがあるらしいが、頑張っている誰かの隣に居ることで、自分も妙な充実感に浸ったつもりになっていて危ない。
しばしば人と関わって、コミュニケーションの中に自分を見つけて、自覚して改善していく。そんな当たり前の事をおろそかにして、自分への自信を失いかけるから、見えない不安はいつもそばに居て、答えを外に求める。還る居場所も無くして疲れる。
仕事に就きたいのも、そんなまやかしの充実感に自分を酔わせて、多忙の中に居場所を求めているのか?口から出るのは少し前にマニュアル化された自分の中の正当性と、机上で練り上げた理想の空論。逃げ場所は独りの夜。
2010年はもうとっくにあと1/3。
2010/07/12
2010/07/10
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2010/07/04
2010/07/02
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