2011/06/12

■勉強するという意味■

テレビでIPPONグランプリを観て、勉強って大事だなっていう当たり前な事の意味を「体感」した。


大喜利の番組なんだけど、やっぱり観ながら、お題に対して自分なりの回答をいくつか考えてみる。
出題時にすぐ回答がひらめくお題もあれば、全く回答が思い浮かばないのもあったりするんだけど、
そんな問題も、何人かの回答をみると、
あ、そういうことならこういうのもどうだ?」
と、どんどんアイデアがでてくる。


学生時代もそうで、大学の課題の大半は、出題時にもやもやして全くゴールが思い付かなくて、
結局自分の知ってる範囲の観た事あるもののマネで終わる。
で、合評で他人の作品を観て、
「ああ、この課題はそういう事を問われていたのか!」
とか思ったりして、後からアイデアが出てくる。


他人のアイデアを観る事で、(パクリとかではない)自分なりのアイデアが出てくる。


何かをする時、しようとしているディティールに近いもの、そして目指す目的に近い目的を達成した
成功物をいくつも観る事は、単に「真似ることのできるモチーフを増やす」という事だけではなく、
新しいものを構成する為の起爆剤にもなる。それが「勉強」の真意だと。


誰かがそう言ってた事も、何かで読んだ事もあった定理かもしれないけど、こうやって自分の感覚で
味わう事で、ようやく咀嚼されたものが吸収された気がした。
この流れもまさにその「勉強」そのもの。






ちなみに番組内で割と(点数的には)周りと競ってたようにみえたバカリズムだけど、実際は明らかに
彼の独壇場だったと思う。回答の質が他とは別格で、「面白い言い回し、雰囲気」だけの回答ではなく、
「予想の先をいく新しい切り口」の提案だった。それが会場の笑いに直結していない場合もあったけど、
「大喜利」のあるべき形を、確信犯的に提案出来ていたのは彼だけだったように感じた。

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