2011/12/31
2011年を順当に振り返ってみる[前編]
何とかなると思いつつ何ともならずすっかりニートへの道を歩み始めた2010年の余波を断ち切りたい思いで
お誘いを受けて始めた、12月からのWebサイト開発のバイトが本格的に転がり出した頃、その年は明けた。
在学時から頂いていた自分個人へのデザインワークの仕事も少しづつ数が増え、先述したバイトも含めると
同時に7本の仕事が走っていた。スケジュール帳の埋まるまともらしい状態に戻った生活リズムに安堵感を覚え、
世間への後ろめたさが安らぎ、一般的な人々の波に乗って初詣にも出掛けた。
2010年に再会した、小中高一緒だった友人とも定期的に連絡をとるようになり、公私共に新たな環境が構築された。
日々のタスクをこなしつつ、同じく定職の無かった同級生を東京に見送ったりしているうちに、
サイトのローンチに合わせて定められた4ヶ月の契約期間が終わろうとしていた。
妙に暖かい日があると思えば、寒さのピークが過ぎ行く時期は例年より少し遅い、移り気な3月。
ミヤネ屋を観ながら皿洗いをしている最中、視界に映るカーテンは風もなく揺れた。
直後、中継のカメラが映し出す中、東北の街は普段よりも近い海面に撫で取られた。
Twitterのタイムライン上では情強と情弱の差が露呈し、各々のリテラシーが問われ、
利用していたと思っていた便利なそれに翻弄されているという過ちに気付かされるきっかけを作った。
余震が耐えないという情報にリアリティを持てないまま、毎朝京都に通うバイトは終わった。
急に舞い戻った昼に起きる事が許される生活に覚えた不安を紛らわすため、普段よりも遊びの誘いに応えた。
大学時代の友人に誘われ、あてもなく大阪から奈良に移動していた車内で、ケータイが鳴った。
今まで自分自身に直接受けた事の無かった映像の仕事が、顔見知りのディレクターから入った。
二つ返事で見えない電話先の相手に向けて首を縦に振り、月末に東京でカメラを回した。
以前からファンだったthe pillowsのギター真鍋さんに頂いたピックが何よりの報酬だった。
翌月、続けて同じ会社の別のディレクターからまたも仕事が入った。レコーディングスタジオや
ニコニコの原宿スタジオで仕事をした。著名なミュージシャンに遭遇した事も嬉しいが、
孤独だった生活の中で、普段会えない東京や横浜の友人に会える事が何より嬉しかった。
公私混同の東京から帰ると、怒涛の編集祭りが待っていた。
素人に近い編集技術でなんとか数本の映像を公開した。
一段落つく度に次の予定を生む電話が入る。
7月末頃にもそれが起こった。思ってもみなかったが何よりも望んでいた就職に繋がるお話だった。
上海の会社が人を欲しがっていて、そこに紹介して下さるという。
勤務地上海という情報が、二つ返事を許さなかった。返事までの2日間、冷静に考えてみると
断る理由もない事に気付いた。上海から帰国中だったその会社のCEOとお会いする事となった。
約束したホテルには2人の方が居て、色んな話を聞いた。お誘いの内容がその輪郭をはっきりさせ、
断る理由は完全に無くなるどころか、一刻も早く行きたいという気持ちだけが残った。
決断までの猶予を頂いたが、答えは既に決まっていた。
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